6月2日Vol.189
社員インタビュー
第1話_伊東 修平さん(4課)

アンテナショップの壁にかけてある絵を見た方も多いことでしょう。そう、4課の伊東さんが描いたもの。美大で絵を学び、自分がやりたいことを追求してきた伊東さん。インタビューで、その原点を探ってみました。

自分の起点

「絵の具はすでに揃っているんだから、今さら技術を追求しなくてもいいじゃん」

約20年前に通っていた美大では、表現をやる人が多かった。自分が選んだ道はヨーロッパ絵画の古典技法。道具や技術といった、ファンダメンタルなところに興味を持った。

200人程の同級生のなかで、古典をやるのは両手で数えられるぐらいの少数派。「伝統よりも、これからの表現を追求しよう」という流れが強いなかで、表面的なことをやっても仕方が無いと、自分の中に変な自信みたいなものがあった。

「伝統」と「現代」

技法や道具がどう構成されているのか、それを知りたくても、大学には、技法・材料を学べる研究室がない。だから、自分でやるしかなかった。先生に相談したり、古書を探しだして読んだり、随分と研究した。

真面目に取り組んでいると、コンテンポラリーな教授でも、やっぱり古典技法は大事だよね、と認めてもらえるようになった。

古典技法は、自分にとって歴史と伝統が織りなす奥深く魅力的な世界。先人が積み重ねてきた知恵と創造がぎゅっと詰まっている。それを一つひとつ紐解きながら、感覚を研ぎ澄ませる。それが面白かった。

6月3日Vol.190
社員インタビュー
第2話_伊東 修平さん(4課)

自由奔放な子ども時代

興味のあることは何でもやらせてもらえる、そんな子ども時代を過ごした。大ヒットした「耳を澄ませば」の聖司君にあこがれて、「ヴァイオリンをやってみたい」と言ったこともあった。でも、子どもながらに音楽の世界の厳しさを感じ、おじけずいてしまって。

趣味でよく絵を描いていた両親に影響されたのか、絵を描くのも好きだった。遊び程度だったけれど、姉はすごく上手で、何でもできたスーパーお姉ちゃん。今でもあこがれの存在だけど、当時、その背中を追いかけていたのかな。

絵の世界へ

真剣に絵に取り組むようになったのは、高校生のとき。今でも尊敬している美術の先生がきっかけ。美大を希望していた自分を予備校に引っ張ってくれたり、最初に道を開いてくれた人。

国立は失敗したけれど、私立の美大に入り、やりたかった古典美術の世界へのめりこんだ。卒業後、栃木に戻ってからは大学院に進み、受験の時に通っていた予備校で、生徒さんに絵を教えたり、事務仕事のお手伝いをしていた。

その一方で、グループ展に出品しながら、作品づくりに打ち込む日々。でも、何かが違う。そこに自分の居場所があるとは思えなかった。

6月4日Vol.191
社員インタビュー
第3話_伊東 修平さん(4課)

自分を出せない

「気に入ってもらえるだろうか・・・」
作品を出品するたびに、それが気になってしまう。グループ展に参加しても、「ぼくのはいいので、他の作家さんの作品を見てください」と、自分を前面に出すことがすごく苦手だった。

折角、作品を購入してもらったお客さまに、「本当にいいんですか?」なんて言葉がつい出たり、差し上げてしまうことも。

「そんなことをしたら、アーティストとしての価値が上がらなくなってしまうよ」と、まわりからは随分と叱られた。作品づくりへの想いは、苦手意識を超えることができず、気がつけば絵の世界から遠ざかっていた。

ものづくりの根っ子を見つける

そんな時、栃木で受け継がれてきた伝統工法のものづくりに出会った。地元でも有名な染め物の会社。

宇都宮で生産された生地を染めるために生まれた宮染というのがあって、田川沿いに染色職人が移り住んで栄えた時代があったそうだ。その会社は、注染(ちゅうせん)という工法で裏も表も染まる技術を持ち、注染とろうけつ染めの合わせ技が唯一日本でできる工房だった。

地元にこんなすごい会社があるんだと、飛び込んだものの、この道何十年の職人さんが工房の重鎮として君臨していた。

仕上げの仕事につきながら3、4年が経った頃、染色に携われるまで待つことができず、次の道を求めた。行きたいところは、すでに決めていた。

6月5日Vol.192
社員インタビュー
第4話_伊東 修平さん(4課)

生まれ育った場所

行きたいと心に決めていたのは、栃木レザー。栃木に伝統工法でなめしやっている会社があることを全然知らず、<U字工事の旅発見>でその存在を知った。ものづくりが好きだから、「仲間に入れてほしい」と思っていた。

大学時代、主に学んでいたヨーロッパ絵画の古典技法では、写本で羊皮紙を使ったり、豚の革を原料とした膠(にかわ)という糊を使ったり、金箔を貼る時も革張りのクッションの上で金箔を刻んだりと、革は常に身近にあった。

すぐに応募して面接してもらうと、帰り際に「肉体労働と仕上げの仕事、どっちがいい?」と聞かれて、迷わず「肉体労働」と答えた。染め物の会社でも、表面的なことをやっていたから、もっと根本の深いところに触れたかった。

古典技法って、絵具のこととかをよく知らないと描けない。どうやって構成されているのか、そこを追求してきたから。やっぱり自分は技術が好きで、なめしがどうなっているのか。興味はそこにある。

願いは叶わず4課の配属になったけれど(笑)、それはそれで学びの日々。前の染め物の会社もしかり、自分が生まれ育ったこの栃木に、こんな誇れるものづくりの会社があることに、自分は救われた。

絵を描くことと少し距離は置いているけれど、今、こうして栃木レザーにいるのも、広い意味で自分の起点からつながっているのかも知れない。

6月6日Vol.193
社員インタビュー
第5話_伊東 修平さん(4課)

空っぽになれたから

栃木レザーに入ってから、約3年が経った。仕事に対してどんな夢を持っているかと聞かれ、すぐに出てきた答えは、「言われたことをしっかりやりぬくこと」

これまで積み上げてきた経験が活かせるとか、役に立つかもしれないとかではなく、色々なことから離れて空っぽになってこの場所にきた。

小学生の時に読んだ、養老孟司の「超バカの壁」に語られていた著者の仕事論。こう、書いてあった。

「若者は、この仕事は自分に合うとか合わないとか言っているけど、仕事というのは社会の穴を埋めること。道に穴があいていたらみんなが転んで困る、だから埋める。この穴が自分に合うとか合わないとか、関係ない」

えっ?穴?埋める?それって土方?

小学生にはその意味がわからなかったけれど、今、自分は社会の穴を一生懸命に埋めている。何かを求めたり、何かを期待しているのではなく、藝術への感情スイッチもオフにして。社会の穴だけではなく、お給料をいただくということで、生きていくための自分の生活の穴も埋めている。

ここで生まれた一枚の絵

「新しいことに取り組もう」と、昨年、栃木レザーで新開発プロジェクトがスタートした。他人との協力や調和が苦手な自分は、プロジェクトには参加しなかったが、20センチ角くらいの大きさの革に栃木レザーを表現してみた。

背景を金箔で埋め尽くした絵(写真)。金箔を貼る糊を革が吸ってしまい大失敗しながらようやく完成させた。「こんなのつくったんですけど」と遅澤社長に持って行くと、気に入ってもらえたようで、それがショップの外壁を彩る大きな絵に生まれ変わった。

社会の穴を埋める、という話しには続きがあって、「大切なことはいったん引き受けたら半端仕事をしてはいけない。その過程で自分の考えも変わり、自分自身が育っていく」と。

本気で穴を埋め、歩きやすくしていけば、きっと自分が埋めるべき穴が、また、目の前に現れるはず。空っぽになったおかげで、たくさんのことを受け入れ吸収する余白が広がっている。

それが豊かな想像力を生み、創造力を喚起してくれることを祈って・・・